第13回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年8月号の転載です。
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「カンボジア通信 August 6, 2004」

1. 与党人民党(CPP)と野党フンシンペック党との連立政府樹立なる

昨年7月27日の総選挙以降約1年もの間混迷を続けてきた新政府の樹立が、7月15日の国民議会にて極めて異例な形で組閣を完了し決着をみました。
新政府樹立に向けて両党間で政策綱領の擦り合わせが行われてきましたが、最後に残されていた議席配分についても新政府の役職を89も増やし170とすることで合意し、首相をフンセン氏、国民議会議長をラナリット殿下とすることで新政府樹立にこぎつけました。

この過程で、フンセン首相とラナリット殿下合意により提出された「一括投票」を可能にするための法案が憲法に違反するのではと議論になりました。「一括投票」とは、国民議会議長、副議長等国会首脳部の決定と新政府新任を一つのパッケージとして一括して承認するためのものですが、本来であれば国民議会議長等決定後に新政府の新任が行なわれます。

しかし、上院を通過した同法案への署名をピョンヤンで病気療養中のシアヌーク国王が拒否し、国王不在時に国家元首代行を務めるチアシム上院議長(CPP党首)に委ねました。ところが、チアシム氏はかねてより国王への忠誠心が強い政治家として知られており、7月13日早朝病気療養のためと称してバンコクの病院へ入院しようとしました。この動きを察知してかフンセン首相と姻戚関係にあるホックランデイ内務省国家警察長官指揮下の国家警察がチアシム邸を包囲するという事件が発生しました。

結局、チアシム氏とホックランデイ氏の話し合いのあと、両氏はバンコクへ向けて出国しました。この事件の背景には、1997年の武力衝突におけるCPP対フンシンペック党という対立と異なり、CPP党内部でのチアシム党首とフンセン副党首の2大派閥による対立があるとの見方があります。人数ではチアシム派が多数(75%)を占めていますが、主要閣僚や上級官吏へのフンセン派の登用が相次ぎ、これに対するチアシム派による牽制という見方です。

フンセン首相は「一括投票」についても、チアシム党首の了解を得ており党内対立はないと、その後、退院して帰国した同党首との会談後の記者会見で強調していました。結局、同法案は上院第2副議長のニエク・ブンチャイ氏(フンシンペック党所属)が国家元首代行として署名を行ない、成立しました。
この間、野党サムランシー党は「一括投票」は憲法違反として、党首はアメリカへその他の議員もバンコクへ出国しすべての法案審議をボイコットしました。上院議員のオー・ブンロン氏一人だけ、フンシンペック党へ離脱し、新政府での閣僚の地位に留まりました。

連立政府樹立の立役者の一人となったラナリット殿下への批判も多いようで、フンセン首相と共に国王に帰国要請を出しましたが、国王は王位からの退位が承認されるまで帰国しないと表明し、カンボジアにおける民主主義の現状に強い危惧を抱いているようです。
どのような形であれ新政府が樹立されたことを経済界は歓迎しているようですが、国民の反応としては、新政府成立のプロセスに対して厳しい見方もかなりあるように感じられます。新政府にかかる経費も年間600萬ドルとこれまでに比べて急増し、カンボジア支援国の前提として行政システム、司法システムの改革が強く求められているなか、総じて支援に当たる関係国機関、人権団体、NGO等の見方も当然厳しいものとならざるを得ません。
今後の新政府による政策運営から目を離せない状況が続きます。

2. 合気道―新道場建設スタート

6月の一時帰国では新道場建設の件で、皆様から多大のご支援とご協力を賜りました。お蔭様で建設の具体化へ向けて動き出すことが出来ます。こちらの占い師が日柄も良いという7月25日を建設着工日と決め、工事を開始しました。工事の進行状況に合せて5回に分けて支払う契約とし、契約時に第一回目の支払いを済ませました。

手始めとして、地盤整備、水源の確保、プロテクションの工事から始めますが、9月末までの完成を予定しております。雨期にもかかわらず、降雨が少なく工事は順調に進みそうです。逐次、進行状況を報告させていただきます。

3. カンボジア・トピックス

・地雷、不発弾による負傷者増加
2004年1月~4月: 457名 内91名重傷
2003年1月~4月: 321名 内44名重傷
特に、バンテイ・ミンチェイ州、バッタンバン州、プサット州、コンポム・トム州での地雷、不発弾による負傷者が増加中です。負傷者の大半は現金収入を得るため回収作業を行なっている者と田畑を開墾するために森林を切り開く作業を行なう農民だそうです。

(背景) 
赤十字やNGOによる地雷・不発弾事故防止キャンペーンにも拘わらず、村人たちが金属探知機を使い危険な回収作業を続けている背景に、メタルのスクラップ価格の高騰があります。現在、その価格は1kg当たり700リエル(20円位)で昨年同期に比べて200リエルも値上がりしています。
回収業者に持ちこまれたスクラップは、タイで最終製品に加工されアメリカへ輸出されていますが、景気回復でその需要は増加中とのことです。回収業者はそのままの形で引き取ることはない為に、村人が自ら分解するケースが多いようです。結局、自らの生命を賭して現金収入を得る為の仕事をしているというのが実情です。
カンボジア・マイン・アクション委員会の調査では、1990年代初めから活動してきたなかで今年が負傷者の数も最悪の年になりそうと報告しています。貧困故の危険な作業をいとわない人々の生活が地方にいけばまだまだあるようで、子供のころ幼友達と米軍の射撃場で弾を拾った遠い記憶がかすかに脳裏をよぎりました。

・魚価の値上がり食卓を直撃
魚の産卵時期にあたる6月1日から9月30日までは漁獲の禁止期間となっていて、この時期の魚の値段は通常高くなります。
ところが、今年は値上がり幅が例年以上で庶民の食卓に少なからず影響を与えております。ナマズは7月に入って1kg当たり1.25ドルから1.49ドルへ値上がりし、魚全体では平均で13%も値上がりしています。漁師たちは自分の家へ持ちかえる分もすべて市場へ運び、販売に精を出しているとのことです。
この背景にはメコン河の水量が極端に低下していることがありますが、降雨量の減少、上流での中国によるダムの建設、近隣国への魚輸出の増加や違法な爆薬を使用した漁など多くの原因が絡み合っているようです。
今年も雨期たけなわの時期にも拘わらず雨が少なく、来年の漁獲量についても今から心配されます。

カンボジア合気道クラブ         工 藤  剛

第12回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年7月号の転載です。
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「カンボジア通信 July 10, 2004」

1. 一時帰国

6月30日に、日本での一時帰国よりプノンペンに戻りました。これまで通りの生徒たちとの稽古が翌日からまた始まりました。
日本ではこちらよりは凌ぎやすい気候を期待しておりましたが、湿気が少ない分少しは楽とはいえ、連日の真夏日でプノンペンとそれほど変わらない毎日でした。

暑い中、本部道場での東北大学OB会稽古、日本橋道場での稽古を始めとして、第一製薬合気道部の合宿でも多くの道友と稽古することでリフレッシュすることが出来ました。奥村先生、米持先生、小林先生、桜井先生お世話になりました。また、一ヶ月の滞在期間中に多くの皆様から新道場建設のための浄財をお寄せいただき、誠に有難うございました。

お蔭様をもちまして、Ark Toul Krasang Aikido Dojo (仮称)の建設を具体化することが出来ます。早速、建設着工へ向けて準備を進めております。年末までにはなんとか完成させ、その姿を皆様に報告したいと思います。楽しみに、お待ち下さい。日本は連日30度を越す猛暑が続いているようですが、皆様、体調管理に充分注意してお元気にお過ごし下さい。

2. カンボジア・トピックス   ・プノンペンにおける犯罪発生件数は減少

プノンペン区役所の報告によりますと、今年上半期の犯罪発生件数は大幅に減少しました。今年6月末までの凶悪犯罪件数は260件で、昨年同期比の485件からかなり減りました。
内訳:
殺 人  :  14件 ( 34件) 
武装強盗 : 234件 (269件) 
            (    ):昨年同期
殺人などの凶悪犯罪は減りましたが、一方で、レープ、人身売買や子供への性犯罪が増加し、よりその中身が複雑化しつつあるのが最近の特徴です。
軽犯罪に関しても、昨年の181件から167件に減少しており、2003年に急増した犯罪に対して、首都の治安回復をめざして警察官のパトロールを強化した効果が出ているようです。

・人身売買
コンポムチャム州に住む30歳の母親が5歳と7歳の娘を売り渡した罪で15年の禁固刑の判決を受けました。一人は無事、父親の許に戻る事が出来ましたが、もう一人は買主の許に留まったままのようです。この母親は4歳の他人の娘の人身売買にも関与しているとの嫌疑も掛けられております。

・落雷事故
雨期に入って、落雷による死亡事故が増えつつあるようです。温度の上昇につれて雷鳴を伴う嵐が起こりやすくなります。ちなみに、5月の平均最高気温は39度と昨年より1.6度も高く、雷の暴れぶりもかなりのものでした。
こちらでは、河で漁をしたり、高い木に登って果物を採るなどの作業中に落雷に会い亡くなる人が多く、気象庁では雷雲が近づいたら木に登らないよう警告を出しています。

・象の暴走
ラッタナキリ州で観光用の象に乗る際に、写真を撮ろうとした韓国人旅行者が、カメラのフラッシュに驚いた象に踏みつけられ重傷を負うという事故がありました。ラッタナキリ州はカンボジア北部、ラオス国境に位置し、ハゲわし、孔雀、バファローなどの野生動物も見られることから観光客が増えつつあるところです。 

カンボジア合気道クラブ 工藤  剛

第11回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年5月号の転載です。
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「カンボジア通信 May 5, 2004」

1. 四月 - クメール正月 & 鎮魂の月

こちらは暑い盛りで、なるべくクーラーは使わないようにしていますが、室温が32度もあり寝る時はさすがに30分程度クーラーのタイマーをセットしておかないと眠りずらい夜が続いています。6月には涼しい日本へ一時帰国をする予定ですので、5月末まではやせ我慢せざるを得ません。

さて、四月のクメール正月(13日~15日)は終了しましたが、この間、今年も例年通り交通事故や火事が多発したようです。
プノムペン市内でも7名死亡、8名重傷となる8件の交通事故が発生しました。一方、地方へ帰省する旅行者で各国道もかなりの混雑で、スピードの出しすぎと飲酒運転も増えるために各地とも同様です。

ところで、この四月はカンボジアの為のボランテイア活動中に犠牲となられた2青年を鎮魂する月でもあります。1993年4月8日にコンポムトム州で活動していた国連ボランテイア(UNV)中田厚仁さんがポルポト派と思われる兵士に襲撃を受け、殺害されました。同氏はUNV選挙監視日本人ボランテイアとして活動されていましたが、まだまだ治安が悪い状況下で自分を守る術はなかったものと思います。
当時、日本人会の会長をされていた馬清氏(現在、JHP・学校をつくる会プノンペン事務所所長)は、UNTAC病院の冷蔵コンテナに安置されていた中田さんとクメール人スタッフの2遺体と対面し、「花束を添え、同行してくれた人達と共に線香を上げ、法華経を読み、題目を上げる。」(馬清著、私見~カンボジアでの十三年~)という体験をされました。

奇しくも、この4月8日にヨルダンのアンマンからバクダットへ向けて陸路移動中の日本人3名が武装グループに拘束され、大騒ぎとなりました。各方面からの働きかけと本人たちの活動ぶりが効を奏し、幸い無事解放されましたが、その後拘束され解放された2名も含め、こちらの新聞でも“jiko sekinin”の言葉と共に彼らに対する日本での様々な反応ぶりが紹介されました。
今回の事件は、外務省より避難勧告が出ている危険地域でのボランテイア活動への大きな問題提起になったようです。多くの困難に直面しているイラク人の為の支援活動という動機は尊重されるべきものです。

しかし、安全にいくら気を配ると言っても、結局は、自分の身は自分で守るしかない以上、特に紛争地域でのボランテイア活動にはそれなりの覚悟が必要であることを再認識させられた事件となりました。
1981年4月16日には、タイ国境の難民村アランヤプラートでJVC(日本国際ボランテイアセンター)の活動をされていた3名が強盗に襲われ、西崎憲司さんが亡くなりました。また、1993年5月4日には、文民警官の高田晴行氏がタイ国境近くのバンテイ・ミエンチェイで殉職され、PKOによる日本からの派遣要員の最初の犠牲者となったことを記憶されている方も多いと思います。
志半ばで亡くなられた3名の方のご冥福をあらためてお祈り申し上げます。
       

2. 合気道 - ハノイ・東南アジア地域合気道演武会&セミナーと(財)合気会からの道着提供

4月17日にベトナム日本センター(VJCC)主催による「ハノイ・東南アジア地域合気道演武会&セミナー」が開催されました。カンボジア合気道クラブからもJICAカンボジア事務所の支援を受けて、クメール人生徒2名を含む4名が参加できました。
ラオスから青木さんと生徒6名、タイから深草先生と生徒2名、シンガポールからMr.Freddy Khong と生徒3名が参加、日本からは堀添7段(法務省合気道部)、市塚6段(埼玉合気会)、鈴木甫6段にJICA合気道部のメンバーも参加されました。また、奈良県支部の窪田先生は急遽来れなくなりましたが、立川3段、田中2段の女性2名が大会に彩りを添えてくれました。

ベトナム各州から合気道クラブが勢ぞろいし、東南アジア6ヶ国によるハノイでは初めての大きなイベントとなりました。演武会はVJCC橋本所長の開会宣言と来賓の挨拶の後、VJCC合気道クラブ56名による演武で幕を開けました。
ベトナムからは、フエ、ダナン、ダラット、ホーチミンなどの州から8クラブの参加で、それぞれの歴史を表すような特色ある演武が披露されました。この国において発展してきた合気道の多様性がうかがえました。

次ぎに、カンボジア、日本、ラオス、シンガポール、タイの順で演武が行われ、我が生徒2名も普段の稽古どおり演武をこなしてくれ、安心しました。
最後は、鈴木6段、市塚6段、堀添7段の演武が続き、深草先生がトリを務められ、すべての演武を無事終了しました。
堀添初代ベトナム日本センター所長が、ベトナム合気道の統一的発展に思いを込められて閉幕の挨拶をされましたが、会場となったハノイ貿易大学体育館の観客席もほぼ満員で、記念となる良い演武会でした。

主催者側の要として奮闘された要田正治さん(VJCC合気道クラブ代表)を始め、ベトナム日本センターの関係者の皆様、本当にお疲れさまでした。
更に、16日、18日の2日間、日本からの3先生と私、青木さん、深草先生の担当で、計6回のセミナーも開催されました。
ベトナムの道友たちも、これだけ多くの先生に一度に指導を受けたのは皆初めての経験のようで、それぞれのセミナーで興味を持って稽古していたようです。私のセミナー終了後は、ベトナムの道友から記念写真を何度もせがまれ、少しは役に立てたようでほっとしました。演武会終了後にベトナム各州からの合気道クラブによる会議が開かれ、我々もオブザーバーとして同席しました。
ベトナム合気道界を代表する連盟の設立が大きな課題となりますが、各クラブの代表者が全員揃っていた訳ではないこともあり、今後、話し合いを続け検討していくことになりました。我々も、ラオス、ベトナムなどと協力関係を強めながら、アジア合気道連盟への加盟をめざして参ります。

この後に開かれたバオサンホテルでのレセプションパーテイは、大いに盛り上がりました。特に、若いメンバーは国籍、言語、性別関係なく、合気の和・輪の中で国毎の踊りを披露したり、歌い、しゃべりでまさに一体となって楽しんでいました。合気道を通した文化交流拡大の可能性をあらためて確信することが出来た良いイベントとなりました。

この程、あなたのやさしさを世界へ!「世界の笑顔のために」というJICAの資機材輸送支援プログラムを利用して、(財)合気会より道着80着がカンボジア合気道クラブへ寄贈されました。このプログラムはJICAのボランテイアを通して海外から要望のあった物品を日本国内で募集し、現地へ送るもので、JICA指定先への日本国内物品輸送料を負担いただければ、海外への輸送料は現地での通関手続きも含めJICAがすべて負担していただけるものです。

4月22日、バクセイ・チャムクロング・クラブ道場での稽古前に道着80着の贈呈式が行なわれ、JICAの大熊調整員よりカンボジア合気道クラブ代表のナング・ラブート氏へ道着が手渡されました。この模様は稽古とあわせて、CTNテレビ局のスポーツニュ-スで放映された他、Kampuchea Thmey Daily にも写真入りで紹介されました。

JICAとの窓口となり、いろいろご手配いただきました(財)合気会総務部の栗林先生をはじめ関係者の皆様に心より御礼申し上げます。
なお、知り合いのJICAボランテイアへ物品を送り、支援されるような場合は、以下のホームページを参照下さい。
http://www.jica.go.jp/partner/smile/country.html
カンボジア合気道クラブ 工藤  剛

第10回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年4月号の転載です。
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「カンボジア通信 April 4, 2004」

1. 日常生活 - クメールお役所仕事
   
日本では景気回復が確実なものとなりつつあるなかで、新入社員や新入生が街にあふれ、昨年よりは明るい新年度入りを迎えたことと思います。
こちらも、4月はクメール正月(13日~15日)の季節です。4月入りと共に正月を迎える準備が始まり、休みを利用してシエムリアップや各州へ出かけるメンバーも多く、なんとなく慌ただしい雰囲気になります。私は15日よりハノイでの合気道演武大会&セミナーに参加し、東南アジア地域から集まる道友と共に正月を迎える予定です。

ところで、ハノイへ同行するクメール人2名のパスポートとビザの手配をしているところですが、この国の役所とかかわる度にいやな思いをすることになります。クメール人が通常パスポートを取得するには、2~4ヶ月分の給料に相当する100ドル位かかるそうで、パスポートを保有する人は稀です。今回は、ベトナムの日本センター(VJCC)主催の文化交流行事ということで、VJCCの招請状をつけてパスポートを申請しております。VJCCの公式行事への参加ということで、パスポートの無料取得が認められるからです。ところが、この手続きを進める過程で申請書類に何人かのサインを貰う際に、それぞれUnder-the-Table Fees(非公式の手数料、賄賂?)を要求されるのが常です。無料のはずが各パスポート毎に35ドルと領収書なしの経費が発生してしまいます。
我々にとってこの領収書の出ない支出が困ります。生徒へ負担させる訳にもいかず、結局、自分のポケットから出すしか処理の方法がないからです。

この国では、賄賂や収賄で逮捕されたとか罰せられたという話しを聞いたことがなく、中央官庁から地方行政組織に至るまで、このようなことは日常茶飯事のことのようです。
あるフランスの調査機関の調べでは、輸入品の通関の際の査定額を極端に低く見積もり便宜を図る為に、本来、国家歳入として納められるべき税金の28%が失われていると報道されていました。車の数も年々増え、ガソリン輸入量も間違いなく増加しているにも拘わらず、ガソリン税収は逆に減少しているようです。

役人の給料が安い為に、このような事が起こるのでしょう。国に入るべき歳入をきちんと確保し、その後に給料も上げていくのが筋なのですが、長い間に慣れ親しみ、この国の隅々にまで染み付いてしまった行政慣行を良い形に変えていくことは本当に難しいことです。

毎年、カンボジアの支援グループ会議が開かれ、この国の行政システムや司法制度改革の進捗状況をチェックした上で、支援額が決められております。2001年には政府要望額500百万ドルに対して615百万ドル、2002年には635百万ドル(政府要望額485百万ドル)と決められました。これまでの会議ではいずれも、政府の改革に対する取り組みがまだまだ足りないと支援国は批判してきました。

カンボジア政府は近い内に開かれる予定の今年の支援グループ会議に対して、今後3年間に15億ドルの支援を求めるようですが、教育や健康・保健といった国民に直結するような分野へより多くの支援金が使われることが望まれます。
各国からの支援金による援助をより効果的なものとし、真に国民の生活が改善していくようにするには、このような問題の解決は避けて通れないことだと痛感させられます。 

       
2. 合気道-昇級試験&神奈川新聞社による取材

稽古を始めて約1年半が経過しましたが、3月に昇級試験を行い、クメール人の中からも2級取得者10名が誕生しました。全員、当初より稽古を続けてきたバクセイ・チャムクロング・クラブのメンバーですが、来年には黒帯へ挑戦出来るよう頑張ってくれることでしょう。これらのメンバーが近い将来、「カンボジア合気道クラブ」の指導者として、この国における合気道普及の中心となってくれる筈です。

ちなみに、3月末現在のメンバーの昇級状況は以下の通りです。
   5級  24名
   4級  22名
   3級  21名 (内、アーク・プレック・アンチャン高校生:14名)
   2級  13名 (内、フランス人:2名、トルコ人:1名)
    計  80名
今後とも、日々の基本を中心とした稽古、ラオス、タイ、ベトナム、シンガポールなどの近隣諸国との交流稽古や本部道場からの東南アジア巡回指導などを通して、更にメンバーのレベル向上を目指して参ります。皆様のご指導、ご支援をよろしくお願い致します。

3月に神奈川新聞社の高本記者がカンボジア,ラオス、ベトナムに派遣され、神奈川在住のシニア・ボランティアと専門家、青年協力隊員の取材を行いました。合気道については、3月23日にバクセイ・チャムクロング・クラブ道場での稽古取材に見えました。稽古の様子を熱心に撮影された後、カンボジア合気道クラブ代表のナング・ラブ-ト氏を交えて、約1時間インタビューを受けました。シニア・ボランティア(SV)としてカンボジアで合気道指導をすることになった経緯やこの国での合気道の現状について詳しく説明しました。
取材記事は4月中旬以降にシリーズでJICAのもとでの我々の活動状況を紹介していく予定です。神奈川在住の方で記事を目にすることがありましたら、どなたか、その記事をメールしていただくと有難いと思います。

3.緒方貞子JICA理事長による現場視察

昨年10月1日に新生「国際協力機構」の初代理事長に就任された緒方さんが、JICA事業の視察とカンボジア側関係者との協議を行う為に、カンボジアを訪れました。緒方理事長は就任以来、JICA本部から現場への派遣を推進され、現場中心主義を強く打ち出されております。
現場視察の皮切りにカンボジア,ベトナムを選ばれたそうです。カンボジアでは、フンセン首相、各省大臣との協議のかたわら、地雷の事故が一番多いバッタンバン州の地雷処理現場を始め、プノムペン港のインフラ状況の視察、更に専門家、SV,協力隊員が活動している病院や孤児院などの視察を勢力的にこなされました。

緒方貞子JICA理事長

その行動ぶりは、76歳のお年を微塵も感じさせないもので、これまでの紛争地域各地での活躍ぶりもさも有りなんと現場で働く皆が感じたと思います。
我々との懇談の機会も作っていただき、身近に理事長の謦咳に接することができました。私は簡単に自己紹介で済ませたのですが、同じテーブルのSV仲間で仕事が思うように進まないと悩みを訴える方までいて、時間オーバーで最後のテーブルまで回れなかったほどでした。
「物事が進みにくい国に来られて、苦労されていますね。」と慰めの言葉を残されて、懇親会場を後にされました。日本帰国後すぐにアフガニスタンを訪問されるとのことで、
その後のベルリンでのアフガニスタン支援国会議で4億ドル追加支援発表をされる姿がテレビニュースで報じられていました。気さくに話し合いに応じてくれましたが、国際会議の重要な場で通用する数少ない日本人の一人にお会いできるという良い機会に恵まれました。

カンボジア合気道クラブ 工藤  剛

第9回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年3月号の転載です。
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「カンボジア通信 March 8, 2004」

1. 日常生活 - 暑い季節も目の前に
   
日本は啓蟄も過ぎたというのに各地での大雪で、まだ気候も安定してないようです。でも、今年は桜の開花予想も早いようで春遠からじでしょう。
こちらは3月入りした途端に室温が30度を超え始め、いよいよ1年で1番暑くなる4~5月へ向けた日々が始まりました。2月末までは夜寝ていても汗をかくこともなく過しやすい毎日でしたが、これからは暑さとの共存となります。稽古で良く汗を流すことが、この国での体調管理には1番のようで、日々の稽古を大事にしていこうとあらためて気持ちを引き締めております。

関西地方を中心に鳥インフルエンザの感染拡大が続き、カラスまで感染していることが判明したりで、皆様の関心も高まっていることと思います。
そこで、こちらの現状もお伝えしておきましょう。アジア地域では10ヶ国で鳥インフルエンザが発生していますが、このうち、2月中旬までに報告されている死者の数はベトナムで15名、タイ7名の計22名です。この2ヶ国以外では死者は報告されていません。
その後は、ベトナム、タイでも新たな死者は出ていないようで、封じ込めに成功しつつある地域が増えつつあるとのことです。ベトナム,タイではこれまでにそれぞれ4,000万匹、3,800万匹の鶏が処分されました。昨年のSARSの際と同様、WHOの各国事務所も監視体制を強め、なお事態を見守り続けているところです。

カンボジアもベトナムとタイに挟まれている国だけに影響は免れず、地方での発生が報告されました。しかし、ベトナムから運び込まれようとした鶏卵を没収し、処分するなど、それなりに対応はしているようです。
プノムペンは都会ですし、我々が直接生きた鳥に触れることはまずありません。卵、鶏肉も加熱した料理しか口にしませんので、普段の生活で特に気になることはありません。JICA事務所の健康相談員も手洗いとうがいを励行し、生きた鳥に接触しないよう指導している程度です。

こちらへ来られる方は、韓国の男性を魅了した「喜び組」の女性がいる北朝鮮レストランの焼肉やクメール料理を安心してお楽しみいただけると思います。

   
2. 合気道-「合気道・東南アジア地域演武会&セミナー イン ハノイ」準備たけなわ

1月にご案内しましたベトナム日本センター(VJCC)主催によるハノイでの合気道演武大会&セミナーの開催準備が佳境に入ってまいりました。日本からは東京の堀添師範(VJCC初代所長)、奈良の窪田師範をはじめ大宮道場の市塚先生も参加されるそうで、VJCC合気道クラブのメンバーも案内状の作成、発送や先生方の受け入れ準備などに忙殺されております。

今回のハノイでのイベントは、ハノイの要田さんを始めとしてラオスの青木さん、カンボジアの私を含むJICAの関係者が中心となって、東南アジア地域内での合気道を通した文化交流をこれまで以上に発展させようと企画したものです。
JICA東京本部でもシニアボランティア、青年海外協力隊員などの活動をより効果的なものにするという目的から、この企画を積極的に支援してくれることになりました。これにより、私と青木さんはJICAの「広域研修制度」による業務出張が認められました。それぞれ、カンボジアから生徒2名、ラオスから生徒5名を連れてハノイへ行けることになり、皆張りきっているところです。

昨年11月1日のプノムペンでの第一回日本武道演武大会、11月22日のビエンチャンでの第二回日本武道演武大会に続く今回のイベントを通して、東南アジア地域における合気道の和、輪が更に広がることを期待しております。日本では毎年恒例の仙台合宿が4月17日~18日に実施されるとのことで、海外遠征は無理な方が多いと思いますが、この記念すべきイベントへの参加、ご支援も是非ご検討下さい。

3.国家予算 - あってないようなもの

この国でも各省庁の予算は予算法により国会で毎年決められていますが、実際の支出をみるとバラバラのようです。一般の国民に直接関係の深い省は社会省、教育省、保健省、地域開発省の4つです。

ところが、この4つの省が2003年度に実際支出した金額はいずれも当初決められた予算を下回っております。
主な省庁の予算支出は新聞報道によれば、以下の通りです。

省庁名      当初予算(百万ドル)   支出率(%)
教 育 省      80.7         79
保 健 省      50.5         59
地域開発省      5.25         54
金 融 省      12.6        199
内 務 省       4.1        167

昨年度はSARSによる観光収入の減少、ビザ、通関収入の減少に見舞われ、歳入が不足するなかで、国防支出や内務省の支出の突出が目立ちました。
一方、教育省による予算の支出が問題のようで、学校の先生の賃金体系は極端に悪く、月給25ドルの金額ですら1月分がまだ支給されていないと報じられていました。この為に、私塾を開いて稼いだり、なかには、モトドップドライバーのアルバイトに精を出したりで、本来の教師としての職務を果たすことが出来ない先生も多いようです。

日本を始め各国のNGOやボランティヤ団体が学校を建て、寄贈していますが、子供たちへの教育をより効率的に運営していく為には、国による教育システム改善への前向きな取り組みが更に求められねばなりません。
   
カンボジア合気道クラブ 工藤  剛 

第8回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年2月号の転載です。
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「カンボジア通信 February 8, 2004」

1. 日常生活 - モノは大切に
   
日本はまだ寒い日が続いているようですが、こちらは1日の最高気温は30度を超えているにも拘わらず、そう暑さを感じることもなく比較的過しやすい季節です。

最近、毎週日曜日の午前中に住んでいるバサックのテニスコートで生徒たちとテニスを興じるようになりました。こちらでは空き地や野原で簡単に出来るサッカーやバレーボールは盛んですが,テニスはコートも少なく、コート使用料を払ってまでプレーするクメール人は少ないようです。ここでは、コート、ラケット、ボールも無料で貸してくれる為に生徒たちにとっては魅力的なのでしょう。初めてプレーする者が殆どでしたが、続ける内に自己流ですが上達してきました。

私も皆とプレーしている内、履いているカジュアルシューズの片方の底がパックリ剥がれてしまいました。古くもあり捨てて新しいのを買おうと思いましたが、生徒の一人が「先生、直します。」と言ってくれました。こちらでは、靴は何度でも修理して完全に履きつぶすまで使うようです。
直してくれたシューズをみると、接着剤でつけただけでなく、底と剥がれた上部の部分のまわりすべてを新しい糸で縫い付けてあり、驚いたことにもう一方の靴も同じように縫ってくれていました。買った時より丈夫になり、その手仕事の完璧さに感心しました。お金を払おうとしたら、2,000リアル(55円位)しかかからなかったので要りませんと結局、お金を受け取ってもらえませんでした。

こちらで市内観光をされた方は気付かれたと思いますが、道端やマーケットの至る所に車、バイクやあらゆる機械、器具の中古屋があります。私と同じ世代の方なら記憶にあるでしょうが、我々の子供の頃は鍋釜、こうもり傘から家庭内にある多くの器具類は度々修理して長い間大事に使用していたものです。
大量消費に伴う大量のゴミ廃棄物の発生と先進国が抱える問題を考えると、モノを大切にするという習慣はこれからの若い世代にも是非伝えていくべきことだと生徒から教えられました。使い捨てに慣れ親しんでしまった私も大いに反省させられた一件となりました。 

    
2. 合気道 - アーク・プレック・アンチャン道場一周年&本部道場東南アジア巡回指導

昨年11月の演武大会効果によるクメール人の生徒増加は一段落しましたが、最近、日本人を含む外国人の参加希望者が増えています。日本人はJICA専門家の親子をはじめ年金生活をプノムペンで過しているという65歳の男性も来られました。その他、スロバキア人の夫婦に黒帯のカナダ人も再開したいと訪ねてきました。最初からのフランス人、トルコ人のメンバーも含め少しずつですが国際化も進みつつあります。

さて、昨年1月18日にオープニングセレモニーを行いましたアーク・プレック・アンチャン道場の一周年を記念して1月17日にパーテイを開催しました。
カンボジア合気道クラブの主要メンバーと道場の関係者、生徒たちを中心に40名でささやかなパーテイとしました。当日は,2時30分よりの稽古時間をパーテイに充てました。バクセイ・チャムクロング・クラブからビデオ機器やスピーカー及び食材を持参し、生徒たちが思い思いに料理作りを行いました。
全員参加による手作りのパーテイで、オープニングセレモニーのビデオを見たり、クメールダンスを教わったりと一周年記念を楽しみました。三周年、五周年と彼らが中心となって歴史を繋いでいけたらと願っております。

また、年初のビッグイベントとして、2月5日、6日の二日間、本部道場主催による巡回指導がおこなわれました。関師範、佐々木指導員によるカンボジアでは初めての巡回指導です。三道場すべてで指導をお願いしましたが、両先生から取りだけでなく、受けの方の構え、打ちこみ方など普段目の行き届きにくいところも丁寧に指導いただき、生徒たちも新鮮な刺激を受けたようです。

先生たちがお帰りになった後の稽古で生徒に感想を聞いてみました。先生が技をかける時は力強く早いのに、最後に投げ押える時はゆっくりやさしく捌いてくれたと、まだ稽古を始めて一年の自分らへの指導であることを良く理解してくれたようで、安心しました。来年の巡回指導に期待を抱かせる良い経験をさせていただき、関師範、佐々木指導員に心より感謝申し上げます。

      
3.その他 - 子供の不発弾による爆発事故

1月29日にパンテイアイ・ミンチェリィ州で13歳の少年が自宅近くの藪で見つけた不発弾を弟に見せようと家に持ち帰り、遊んでいる内に爆発するという事故がありました。13歳の長男を筆頭に10歳、4歳と8ヶ月の兄弟全員が死んでしまいました。両親が畑仕事から戻ると子供全員が亡くなっただけでなく、自宅も全焼です。
不発弾や地雷による死傷者の数は年々減少しつつありますが、カンボジアの地方に行くとまだこのような悲しい事故が発生しています。日本を含む各国のNGOが不発弾、地雷撤去に取り組んでいますが、米軍の空爆による不発弾やソ連製、中国製などの地雷が今もかなり残されたままです。まだまだ撤去作業は続く状況で、このような悲しい事故が無くなるのは何時のことなのでしょうか。 

カンボジア合気道クラブ 工藤  剛

第7回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年1月号の転載です。
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「カンボジア通信 January 4, 2004」

1. 年の始めに

昨年はカンボジア合気道クラブの活動に対し、多大なるご支援、ご協力を賜り誠に有難うございました。お蔭様をもちまして、合気道経験者ゼロの状況からスタートしたにも拘わらず、昨年11月にはプノムペンで初めての日本武道演武大会まで開催することが出来ました。
ラオスに続いて、カンボジアでも合気道が根付きつつあることを実感できた一年となりました。
今年も、1月17日にアーク・プレック・アンチャン道場の1周年記念、2月5日、6日の関師範、佐々木指導員による東南アジア巡回指導と年初から行事が続きます。
特に、合気会本部道場による巡回指導は普段稽古をしている3道場に2先生をお迎えすることで生徒たちへのインパクトもかなり大きなものがあるものと期待しております。
更に、4月15日~18日には「合気道・東南アジア地域演武大会&セミナーインハノイ(仮称)」がベトナム日本人材協力センター(VJCC)の主催により開催される予定です。現在、堀添勝身師範により設立された「VJCC合気道クラブ」の要田正治氏が中心となって準備を進めておりますが、「アジア合気道連盟」の深草会長、JICAなどに相談しながら、ラオス、カンボジア両合気道クラブも積極的に参画していくつもりです。
昨年同様、日本の合気道団体の皆様にも是非応援をお願いしたく、またご案内申し上げますので、よろしくお願いいたします。
  

2. 年末年始
一昨年は11月に稽古を始めたばかりでしたので、正月休みは1月1日の元旦のみとし、他のJICAメンバーの正月海外旅行を横目で眺めながら稽古を続けました。
今回は、メイン道場のバクセイ・チャムクロング・クラブ道場の改装工事もあり、年末年始の休暇を取ることが出来ました。

どのように過ごそうかと思案していましたが、ラオスの青木さんからバンコックの深草先生の所へ行くとのメールが入り、急遽、私もお邪魔することにしました。あわよくば、正月3ヶ日をチェンマイで過ごせないかと旅行会社に駆け込みましたが、タイ国内線はどこも満員で、特に、バンコック~チェンマイの航空券は取れませんでした。やはり、年末年始は日本や近隣諸国からの観光客が殺到するようです。
結局、稽古する運命にあるようで30日の夕方(18:00~19:30)と31日の越年稽古(23:00~0:05)に参加しました。
シンガポールからは Mr. Freddy T H Khong ら6名も参加し、タイ、フランス、イギリス人に我々日本人が加わり、国際色豊かな楽しい稽古となりました。20年以上続いた本部道場での越年稽古が昨年プノムペンで途切れ残念な思いをしましたが、お蔭様でタイの地で又、再開することができ喜んでおります。プノムペンでは日本レストランの値段が高いこともあり、めったに行くこともなくメイドさんの作る食事で満足しております。

しかし、バンコックはプノムペンとは段違いで、数え切れないほどの店があり、値段もかなり安いようです。滞在期間中、青木さんと「らあめん亭」、「すし幸」、「秋吉」、「夢屋」などで日本食を堪能しました。
カンボジアの正月は今年は4月13日~15日で1月は1日だけの休みですので、正月の雰囲気は特にありません。でも、バンコックで越年稽古に参加し、熱燗の酒も飲めたことで久しぶりに正月気分を味わうことが出来ました。

    
3.物乞いの子供たち
バンコックではプノムペンに比べて子供の物乞いも少なく、さすがに大都会の風情です。しかし、国境近くのタイの町やベトナムのホーチミンシテイなどでは、カンボジアからの子供が物乞いをする為に不法入国しており、ベトナム警察では月に1~2度保護してはカンボジアへ送り返しています。年末にも60名くらいの子供が出身地の Svay Rieng 州などへ送り返されました。
これらの子供たちのなかには人身売買による子供が含まれている他、家族の為にお金を稼ごうと数ヶ月滞在する子供も多いようです。
人権団体では貧困がその大きな理由と指摘していますが、出身地の当局の担当者が子供たちの家を訪れ事情聴取したところ、子供を養うだけの米は充分あるにも拘わらず、バイクやテレビを買う金が欲しいという理由で子供を国境沿いの街へ不法入国させる親も多いようです。
不法入国者への取り締まりを強化し、人身売買を防止することと同時に子供の親たちへの教育が子供を守るためにまず必要なのかもしれません。 

カンボジア合気道クラブ  工 藤  剛 

第6回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2003年12月号の転載です。
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「カンボジア通信 December 3, 2003」

1. 日常生活—-日照りにもかかわらず、今年の米供給は安泰
12月に入って気温も28度を下回るようになり、朝晩はかなり涼しく感じられるようになりました。乾期に入って、2月くらいまでは更に過ごし易くなります。今年の雨期の間の雨不足による日照りの影響で、コムポムトム州、コムポムチャム州では米の生産量が落ち込みますが、カンボジア全体では50万トンの余剰となるようです。昨年も20万トンの余剰で、この国の自然の恵みの素晴らしさを再認識させられます。米不足の州には支援組織、政府、赤十字やフリーマーケットを通して、融通されることになります。

ちなみに、カンボジア米はプノムペン市内のマーケットでは、1,250リアル(35円)/1kg で売られており、地方ではその半分以下で手に入るようです。勿論、全体の所得水準、物価水準が桁違いですが、日本における価格と比較すると、農業政策の是非を考えざるを得ません。
卵は1パック(10個)で、1,900リアル(53円)ですが、卵は日本でも物価の優等生だけに米に比べれば、あまり割安感はないかと思います。

2. 合気道—-第二回日本武道演武大会報告(ラオス)
11月21日、23日と22日にラオス、ビエンチャンにて、それぞれ「合気道セミナー」と「第ニ回日本武道演武大会」が開催されました。今回も昨年11月同様、タイ合気会の深草先生が11名の生徒を同行され、合気道セミナーの指導、演武大会の大トリの演武と活躍されていました。
モンゴルの前川海外青年協力隊員と私はそれぞれ現地より会員1名を同行し、参加しました。私の受けを取ったクンテ-ン氏(3級)は、大きな演武大会での初めての受けで、リラックスするよう言っておいたのですが、ガチガチで、捌くのに少々苦労しました。まだまだ自分の修行の足りなさを感じた演武となってしまいました。

東京からは金子、坂田先輩、西グループ、後藤グループ、南グループに第一製薬の館野さんが加わり、総勢10名による賛助演武で大会に花を添えてくれました。昨年を上回る1,600~1,800名位の来場者があり、青木さんの2年間の成果が結実した良い大会となりました。橋本大使、西脇JICA所長(和同流4段)も大いに満足されておられました。

演武会終了後にアリランレストランにて、合気道関係者交流懇親会をラオス合気道クラブが開いてくれ、ラオスメンバーを始めとして世界各国から来ている合気道メンバーが集う賑やかなパーテイとなりました。東京からお出でいただいた皆様も国際交流を大いに楽しみ、おいしいラオ・ビア-やモンゴル焼酎を沢山味わえたことと思います。

皆様からのご寄付を始めとして、多くの暖かいご支援を賜り、青木さんはじめラオス合気道クラブのメンバーも大満足のうちに大きなイベントを終えることができました。この場を借りて、あらためて皆様に御礼申し上げます。

    
3.不名誉な話題—-日本人の逮捕事件
演武大会の報告の後に以下の話題を書くのを躊躇したのですが、ベトナムやカンボジアの少女たちの過酷な環境にふれざるを得ませんでした。11月28日のThe Cambodian Daily(英語版)の一面に、ついに日本人とドイツ人が実名と写真付きで大きく報道されました。2人とも、プノムペン郊外のSvay Pak Village にある「売春宿5」で、16歳以下の少女を相手にしたことで現行犯逮捕されたものです。

日本人(K.M 兵庫県出身、54歳)は、少女6人を相手に自ら撮影したビデオテープも押収され、ドイツ人(E.V 61歳)は、12歳と14歳の少女を相手にしたとの罪によるものです。8名はいずれも仕事があるとベトナムから連れて来られた少女たちで、現在、人権擁護団体が保護しており、帰国させる方向で事情聴取を進めています。

この件とは別に、73歳のオーストリー人がカンボジアの14歳の少女とホテルに居たところを逮捕されたことも話題となっています。この男性は、少女が9歳の頃から家族付き合いを続けており、この間、少女の両親に家を買い与えた他、お金の面倒もみてきたようです。この為に、少女の両親は裁判所にオーストリー人の釈放と娘を家へ早く戻すよう申し入れるという、我々には理解しがたい展開となっております。

いずれのケースも、大使館に介入の余地は無く、弁護人をつけ、カンボジアの法律に則って公正に手続きが行われることを見守るだけでしょう。裁判で有罪となれば、10年から20年は収監されるとのことで、犯した罪に対する見返りは、当然のことながら厳しいものとなるかもしれません。この「売春宿5」の経営者三名も逮捕され、営業停止となりました。

女性問題省のMs.Mu Sochua大臣は、国家警察に対して更に厳しく取り締まるよう申し入れましたが、他の売春宿の経営者たちは警官にお金を渡せば客は守れると、従来通りの商売を続けています。結局、観光客が訪れる限り、商売は続けられるという構図は簡単には変わりそうもありません。私としては、日本人らによる悪しき行状をお伝えするのみにて、どんな感想を記せば良いのか迷えるおのこの一人として、ただ困惑するばかりです。

カンボジア合気道クラブ  工 藤  剛

第5回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2003年11月号の転載です。
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「カンボジア通信 November 9,2003」

1. 日常生活?雨季も終りに

11月に入ってプノムペンではめっきり雨の日が少なくなり、雨季も終りに近づいたようです。これからは、気温もいくらか低くなり、こちらの人には比較的過ごし易い季節となります。

逆に、日本では、寒さも少しずつ厳しさを増していくことでしょう。皆様、体調を崩されませんようお気をつけ下さい。
今月、プノムペンでは7日~9日の水祭りに9日のフランスからの独立50周年記念式典が重なり、市内は各州からの見学者で溢れています。4月の正月の時は逆に、プノムペンから各州に出て行く人が多い為、この時期が一番の賑わいとなります。

さて、10月20日にこちらに戻りましたが、7月27日選挙後の連立政権はまだ組閣されず、シアヌーク国王の仲介による与野党3党の話し合いが11月5日に行われました。この会議でなんとか3党間の基本的合意が出来たようで、フン・セン氏を首相とする新政権の発足へむけた準備がやっとスタートするようです。

この間の政治的混乱の影響かどうか例によってはっきりしませんが、10月17日カンポットでフンセンペック党の支持者が殺害された他、同18日にフンセンペック系ラジオ局員が殺害され、同21日にもフンセンペック党の歌手が銃で撃たれ重傷、娘をかばおうとした母親が射殺されるといった事件が相次ぎました。

普段生活していて、治安が特に悪化したと感じることはありませんが、今度こちらにこられる方は、昼間の観光と稽古に専念されて、夜遊びは控えるようになると思います(自宅前のホテルのカラオケバー位は、ご案内できるかな? 館野さん!)。

2. 第一回日本武道演武大会報告
11月1日午後2時30分から5時まで国立文化センターにおいて、合気道・柔道・空手道による「第一回日本武道演武大会」が開催されました。ラオスの青木さんもラオス合気道クラブのメンバー5名を同行され、合気道セミナーの指導と演武大会に参加してくれました。

来賓として、小川大使、力石JICAカンボジア所長、カンボジア側から教育・青年・スポーツ省のH.E. Bun Sok次官、カンボジア柔道連盟のMr.Monh Kamsan代表、カンボジア格闘技委員会のMaj.Gen.Nem Sowath代表や各国大使が臨席され、約500名の来場者となりました。

小川大使、H.E. Bun Sok 次官の来賓挨拶の後、柔道、空手道、合気道の順に、それぞれの演武を行いました。柔道の演武では、小川大使(講道館3段)が海外青年協力隊員の江藤昌史3段を相手に、礼と相手を敬う武道精神を強調されつつ説明演武を披露され、来場の皆様から大きな拍手を受けておられました。

小川大使は11月末にはデンマーク大使へ栄転されることになり、日本・カンボジア外交関係樹立50周年のイベントが我々との最後の大きな仕事となります。このような記念すべきイベントで大使と共に第一回の日本武道演武大会を開催することが出来、カンボジア武道界の歴史に残る良い思い出になると思います。

空手道の演武は松涛館、和同流、新極真会の3流派による競演となりました。新極真会岐阜支部から派遣されている杉原健一2段による氷の試割りとMr.V. Chamreun(松涛館4段)との試合形式の組手演武も珍しかったのか、かなり観客の興味を引いたようです。その他では、日本人の子供空手教室の子供たちによるかわいらしい演武も大いに受けていたようです。JICA事務所所員の増田さんの奥様は合気道の初心者演武に出場され、親子による異種武道競演となり、良い記念となったことでしょう。

合気道が最後に登場し、アーク・プレック・アンチャン道場の高校生20名が固め技、投げ技の基本技を中心に、若者らしい躍動感に溢れた演武を披露してくれました。演武大会に参加された小川大使、力石JICA所長をはじめ、教育・青年・スポーツ省のH.E.Bun Sok 次官らカンボジア側の来賓の方々も、その成長ぶりを見て、心より喜んでいただいたようです。女性、初心者による呼吸法の稽古に続いて、レス・ジャルデンス・ドウ・バサック道場メンバーには武器技(短刀取り)に挑戦してもらいましたが、なんとかこなしてくれ安心しました。

バクセイ・チャムクロング・クラブ道場の若手による演武は、私の指導による片手取り三教、横面打ち四方投げ、横面打ち小手返し、片手取り回転投げを行ないました。締めは、日本人コーチによる演武で、住友商事の大塚雅康3段(大阪大学合気道部OB)が若手2名を相手に自由技と二人掛けを披露しました。
次いで、ラオス合気道クラブ初段5名が剣・杖の形と自由技の演武を行ない、青木5段は武器技中心の演武で合気道の多様性、変幻自在ぶりを紹介してくれました。

最後に、この演武大会の大トリを役不足とは思いましたが、カンボジア合気道クラブを代表して私が勤めさせてもらいました。大塚3段は私よりかなり大柄で、学生のような派手な受けを取られたこともあり、カンボジアにおける「第一回日本武道演武大会」の締めの演武をなんとか恙無く終えることが出来ました。これもひとえに、私の一時帰国時に札幌、仙台、東京、福井と全国各地の合気道仲間の皆様が浄財をお寄せいただき、大きな支援をいただいた賜物です。お蔭様で、記念となる大きな大会を無事やり遂げることが出来、こちらの皆様とも心から喜んでいるところです。

なお、ラオスでは引き続き第二回日本武道演武大会を11月22日に控えており、青木さんも皆様からの大きな支援を受けて、大いに意を強くしているところです。ビエンチャンでの演舞大会に参加される館野さん、坂田さん、金子さん、西さんと後藤グループの皆様と力を合わせて、青木さんを大いに盛り上げていきたいと思います。

皆様からの暖かいご支援に対しまして、最後に重ねて心より御礼申し上げますと共に、皆様の益々のご健勝をお祈りしております。 合 掌

第4回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2003年9月号の転載です。
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「カンボジア通信 September 1, 2003」

1. 日常生活?雨不足の影響大

日本は冷夏で寝苦しい夜に悩まされることも少なかったようですが、カンボジアでは雨季にも拘わらず雨量が例年に比べてかなり少なめで生活面への影響が心配されております。

漁業はGNP構成比12%を占め、縫製品、木材、ゴム、農作物と共にこの国の主要産業の一つです。淡水魚の漁獲量は世界第4位だそうで、この内半分は税金逃れの為に不法輸出されています。タイへはトン当り367ドルと砂利並みの値段で輸出される一方、加工された魚はトン当り9,472ドルで香港へ輸出できます。しかし、加工産業が未成熟な為にその量はわずかに留まっているのが残念ながら現状です。
今年は雨量が少ない為に、メコン河やトンレサップ河共に昨年に比べて水面が1mも低く、魚の産卵への影響で、来年の漁獲量の落ち込みが懸念されています。
政府も網目の細かい魚網の禁止や電気使用の漁の取り締まり、更に、商業用漁獲を7月から9月まで禁止するなどの対策を取っていますが、9月以降の雨量回復が一番の改善策となるようです。

また、米の主要生産地であるバッタンバン州とシエムリアップ州でも、水不足に見舞われており、今後半月以内に十分な雨量が確保出来ないと水田が干上がってしまうと悲鳴をあげています。
やはり、日本同様、その季節にあった天候となることが一番なんだなと感じさせられます。
  

2. 合気道?11月以降のイベント目白押し

2001年11月からラオスで合気道の指導に情熱を傾けてきた青木さんの2年の任期が終りに近づき、その前のクライマックスを迎えようとしております。
彼の2年間の活躍と実績は「合気道探求」第26号で既にご覧いただいたと思いますが、11月21日、22日にビッグイベントを行います。
タイ合気道協会の深草先生による合気道セミナー(21日)と第2回日本武道演武大会(22日)をビエンチャンで開催します。
私も、カンボジア合気道クラブのメンバーと共に参加し、イベント盛り上げに少しでも協力出来ればと考えております。
日本からも4名の方がビエンチャン、プノムペンに応援に来てくれるそうで大いに楽しみにしています。

また、カンボジア合気道クラブとしても、日本、カンボジア外交関係樹立50周年、カンボジア独立50周年記念行事に参加して、プノムペンで演武大会をやることに決めました。11月10日前後を予定していますが、柔道マンの小川大使のスケジュールを押えるべく、現在、Sumitomo Corp.カンボジア事務所の大塚さんと調整中です。

合気道の演武大会がカンボジアで一般公開されるのは初めてですので、場所の決定、柔道、空手道も含めたメンバーの確保から資金繰りなどいろいろ忙しくなりそうです。
  
3. 閑話

?村の火消しも金次第
8月9日にプノムペン郊外のある村で火事があり、男の子2名が死亡、51軒を焼失し、96家族がホームレスとなりました。
その後すぐに、司法当局は2名の消防士を職務停止させ、調べに入りました。消防士の月給もご多分にもれず20ドル程度と安い為、消火の際に20~28ドルを村人に要求することが日常茶飯事のようです。しかし、この2人は400ドルを要求、村人がお金を払えないことから消火作業をストップしたとの疑いで調べを受けているようです。

死亡した子供の家族は国と町から112万リエル(280ドル)、残りの95家族は
12万リエル(30ドル)に20kgの米、衣料品、その他生活必需品の提供を受けましたが、この国では、まさに命や財産も金次第で大きく左右されるようで、この現実に何とも言えぬ気持ちを抱かざるを得ません。

シアヌークビル探訪
稽古のない時間を利用してプノムペンからバスで片道4時間のシアヌークビルへ行ってきました。ここは、タイ湾に面した素晴らしい海岸リゾート地で有名で、同じボランテイア仲間(栗林女史)がレンジャーとして、リアム国立公園でマングローブ林の管理をはじめ自然環境保護の仕事に携わっている所です。
バスも車内で蚊2匹を捕まえたことを除けば、エアコンもついていて、国道4号線の道路も良く快適でした。
ビーチは雨季のシーズンオフで観光客も少なく、さわやかな海風を身体一杯に浴びながら、シャコ、エビ、カニずくしのランチを満喫しました。ホテルの目の前のビーチサイドレストランで、日がタイ湾にゆったりと沈むのを眺めながらのデイナ-ものんびりと英気を取り戻すのに絶好でした。
翌日、レインジャー女史にリアム国立公園をボートで2時間のコースで案内してもらいました。河の両岸に群生するマングローブの林と時々ペリカン、イーグルなども姿を現し、日本ではお目にかかれない風景を堪能することが出来ました。

マングローブは炭の材料として使われるために乱伐の跡があちこちにみられますが、レインジャーの数も少ない為に広大な公園をきちんと管理するのは至難の業と彼女が嘆いていたのが心に残りました。
夜はホテルでカジノが楽しめ、朝食付きで1泊20ドルと格安料金で、家族が来た時にまた来てみたいと思います。