第15回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年11月号の転載です。

「カンボジア通信 November 4, 2004」

災害お見舞い & 任期延長

たび重なる台風の上陸と新潟県中越地震に遭遇された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。特に、新潟は私が社会人としての第一歩を踏み出した最初の赴任地で四年間お世話になった方も多く、気がかりです。
一日も早く復旧され、元の静かな生活を取り戻すことが出来るようお祈りしております。
カンボジアでも落雷、火事や風害どによる災害はたまに報道されますが、日本のように広範囲に災いをもたらすような自然災害はあまりないようです。水害や旱魃もありますが、基本的には米、果物、天然の野菜など自然の恵みも豊富で、この点では過ごし易い国といえるかもしれません。

2002年10月23日に初めてカンボジアの地を踏みしめて早くも2年が過ぎ去りました。同期のシニアボランティア6名は、それぞれの任務を果たし10月20日に無事帰国しました。私は、新しい合気道道場の建設とその立ち上げなどの仕事を残していて、あと1年の任期延長が正式に認められました。来年10月20日までのあと1年少しはクメール語も話せるよう頑張って参ります(ニジェイ クマエ ピバー ナッ!!!)。
  

新国王誕生

奇しくも同期の6名がプノムペン国際空港を離れた10月20日に、新国王に選ばれたシハモニ殿下が前国王、王妃の両親と共に北京より帰国しました。
午後のバンコク行き便の乗客45名が市内道路の交通規制による渋滞に巻き込まれ、搭乗できなかったようですが、幸い同期の方はかろうじて間に合い無事、離陸できたそうです。
10月29日に王宮において戴冠式が行われました。28日?30日を即位式典日として市内中のパゴダの鐘が打ち鳴らされ、夜には花火が打ち上げられるなど祝賀ムードにつつまれました。ただし、あまり予算がないとのことで派手な催事などもなく、比較的静かな即位式だったと思います。
任期延長のおかげで、この国の大きなイベントを見聞することが出来ました。
シアヌーク国王が退位を表明された後、スムーズに新国王の決定が行われない時には何らかの混乱が生じる懸念もありました。どうやら、その心配も杞憂に終わり51歳の新国王が即位され、カンボジアの新時代の訪れが期待されます。
シハモニ新国王は若い頃からチェコスロバキアでダンスと音楽、北朝鮮の平城で映画撮影技術を学びました。それが、1976年4月に父親の偽造サイン入りの電報で平城よりプノムペンに戻るよう促され、両親や他のローヤル・ファミリーと共にクメール・ルージュの監視下に置かれるという経験もされました。

1979年1月のベトナム実質支配の開始(カンボジア人民共和国樹立、ヘン・サムリン政権誕生)と共に中国へ亡命し、その後フランスへ渡りダンス教師として普通の暮らしをしていたそうです。今年8月まで国連教育・科学・文化機関のカンボジア大使を務めるなど“文化の人”として知られていて、政治に関わるローヤル・ファミリーが多いなかで、殆ど政治の場から無縁できました。
このように海外での生活が長かったこともあり、大半の国民には馴染みが薄く、特に地方では“Who is Norodom Sihamoni ?” いうのが実情です。
前国王のカリスマ性が強すぎたこともあって、新国王の誕生をきっかけに王室に対する国民の見方が変化していく可能性もあると予想されます。
新しい時代に相応しい変化が起こることを期待したいものです。
    

3.合気道?新道場建設工事報告第3報

10月のお盆休みも終了して、雨季も終わりを迎えつつあり雨もめっきり少なくなりました。道場の敷地近くまできていた水も日に日に後退して元の草地が蘇ってきました。

新道場の屋根工事が完了し、国道21号線からもブルーカラーの屋根におおわれた建物がはっきりと見通せるようになりました。この為、付近の村人の関心を少しずつ集めているようで、見学にくる人もおります。
これで、内装工事も一気に進み稽古場の床材やマットも運び込まれ、どうやら道場らしい姿を整えつつあります。窓、ドアの取り付け、塗装工事などを行い、11月中には道場建物の完成にこぎ着けられそうです。

同僚のラブート氏は地方に住む親戚や友人の家から果樹を取り寄せ、道場周りを良い庭にすると張り切っております。いずれは、こちらの美味しい果物を皆様にも味わっていただけるものと期待しています。
次回には、ほぼ完成した姿をお伝えできるかと思います。

 
4.カンボジア・トピックス

1.リエル安による物価高
カンボジアでは空港、市内あらゆる所でドルが流通していて、わざわざ現地通貨のリエルに交換する必要がなく、ドルで生活費を支給される我々にはとても便利です。
1975年のポルポト政権樹立までは当然リエル経済でしたが、クメール・ルージュは通貨とすべての金融機関を廃止してしまいました。
1979年のヘン・サムリン政権の発足に伴い、リエルの印刷が再開されましたが市場の実勢を無視した為に、通貨と国の金融システムへの信頼は弱い状態が続きました。

その後の1992年のUNTAC(国連暫定統治機構)による統治がドル経済の始まりで、この時に20億ドルがカンボジアに持ち込まれました。
現在でも市場に出回っている通貨の9割以上はドルということで、自国通貨でないドルに依存した経済体質の為に金融政策を発動できる余地も限られていて、脆弱な金融構造と言えそうです。
GNPは毎年5%程度の伸びを示していますが、インフレ率も同程度ないしそれ以上となっていて、絶え間ない物価高が生計費を圧迫し、カンボジア経済は貧しい状況から抜け出せません。食料品、輸送費、建築資材、不動産価格などが高騰しており、特に、魚やガソリン価格の急騰が庶民の台所を直撃しています。
高いインフレ率を抑えるべく、カンボジア国立銀行はドル売り介入をしてリアル安に歯止めをかけようとしてきました。
しかし、私がカンボジアに来た2年前には1ドル=4,000リエルを割り込んでいたのですが、最近は1ドル=4,070リエル位で推移しております。
為替の変動に気を止める人は少ないようですが、先行きについて専門家の間では悲観的な見方が多いようです。何か効果的な金融・財政政策があり得るのでしょうか。
お金による援助だけでなく、知恵をしぼった助言、政策提言も今後の支援の大きな課題となります。

2.リンチによる防犯対策
カンボジアにおける凶悪犯罪は着実に減り改善されつつありますが、バイク強盗や引ったくり、ドメスティック・バイオレンスといった一般犯罪は増加傾向にあります。また、低年齢層による薬物使用、集団暴行などが増え、問題が深刻化しています。
これらの犯罪の際には極めて安易に拳銃が使用されることも多く、警官がこれに応戦して双方に死傷者がでるケースも散見されます。プノムペン市内でも10月初めに、奪ったバイクで逃走しようとした4名の内2名の犯人が市内を追いまわされた末に射殺され、2名は取り逃がすという事件がありました。
一方、タケオ州のある地区では3名のバイク泥棒を警官が連行しようとしたところ、怒り暴徒と化した村人300名が犯人を殴り殺してしまうという事件が伝えられました。
他の州でも、斧やなた、棒を手にした大勢の村人が6名の警官から2名の強盗犯人を奪いさり、リンチにかけ殺すという事件もあり、10月だけでも5件このようなリンチ事件が報告されています。

殺された犯人のなかには過去に6回も逮捕されている者もいて、村人たちが司法制度を信用していないという状況が存在します。警察が犯人を捕らえて裁判所に送っても、すぐに釈放されることを恐れているようです。
いずれの場合もリンチに加わった者が逮捕されることもない為に、犯人を自分らの手でリンチにかけ防犯対策にしようとする事件が止むこともなさそうです。
支援国が強く求めている司法制度の改革も道遠しと言わざるをえません。
  
        カンボジア合気道クラブ
                 工 藤  剛

残念芋煮会

 9日は非常に残念でした。せっかく北海道から仙台にまで来てくださった北大のかたがたに、申し訳なかったです。台風のせいで・・・フェリーは欠航になってしまいました。しかし、とても楽しく稽古できました。北大さんの技は東北大とよく似ていたのですが、何より受けが皆さんうまかったです。具体的には写真を撮ってなくて、お見せできませんが。しかし、負けられません!!
 
 北大さんはいませんが16日に芋煮は延期になりました。今週こそは晴れて欲しいと思います。
 
 どうして今年度のイベントは天候に恵まれないのでしょうか・・・きっと悪天候を吹き飛ばすほどの気合が、みなにまだ足りないのでしょうね・・・現役部員は気合を入れなおしましょう。

今日の稽古

吉田信彌です。6時頃から稽古に参加しました。
本日(10月6日)の指導は、会計の中嶋冬美さん(教育学部3年)。
私が行ったときは片手取り二教をやってました。
つぎは、片手取り天秤投げ(私の相手は3年洞内さん)
座り正面打ち三教(1年の佐々木さんと)
半身半立ち両手取り四方投げ(1年鸙野君と)
横面打ち呼吸投げ(1年阿部君と)
突き小手返し(1年滝沢君と)
座り呼吸法(1年鸙野君と):
残り稽古は、2年の延沢くんとやりました。2年生は、手の形が悪い。全般的に脇が甘い。出席率は高かったと思う。
仙台は急に冷え込んできました。

後期稽古開始

10月1日より後期稽古が始まりました。後期は座技を多く取り込み、足腰を鍛えていこうと思います。OBの先輩方の参加をお待ちしてます。:-D

また9日には芋煮会が開催されます。今年も北大さんをお呼びして、交流を深めたいと思っております。一二年もはりきって芸を披露するそうなので、ご覧になってください。当日はよろしくお願いします。:pint:

第14回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年9月号の転載です。

「カンボジア通信 September 3, 2004」

1. 残暑お見舞い & 還暦祝い

残暑お見舞い申し上げます。
記録的な猛暑からはやっと解放されたことと拝察いたしますが、いましばらくは厳しい残暑が続くことと存じます。体調など崩されませぬよう皆様お気をつけください。プノンペンは30度前後の気温で推移しており、少し暑いと感じる毎日です。10月12日~14日のクメールお盆休みが過ぎる頃から、少しずつ涼しくなっていきます。

ところで私事で恐縮ですが、8月23日に晴れて還暦を迎えました。なぜか生徒たちが私の誕生日を知っていたようで、3道場でそれぞれ思い思いのお祝いをしてくれました。60年も生きてきたという実感が全然なく、日本にいれば還暦祝いなどする気も起こらなかったと思いますが、異国の地でのお誘いということで素直に皆のお祝いを受けることにしました。

8月22日には、新道場建設中のToul Krasang にバクセイ・チャムクロング・クラブのメンバーが集まり、酒を持ち込み、料理を作って祝ってくれました。土地を安く譲ってくれた地主のYil Chanthou, Yil Sothy の親子はお祝いの花飾りを持参され、アーク・プレック・アンチャン道場の高校生12名もお祝いの品々を手に、バイクに分乗してわざわざ50分もかけて来てくれました。往復する道は舗装されていない所もあり、無事帰れるよう心配しながら見送りました。

翌23日には、フランス人生徒の一人、Mr.Michael Odent の自宅の屋上にバサック道場のメンバー16名が集まりました。フランス人、日本人、中国人、クメール人の混成メンバーによる国境、宗教を超えた和やかな合気道ワールドが展開され、夜が更けていきました。
これですべて終りのはずでしたが、26日(木)のアーク・プレック・アンチャン道場での稽古後に、女生徒の一人に自宅へ連れていかれました。そこには、ご家族と稽古を終えた生徒たちもいて、バースデーケーキが用意されており驚きました。皆でお祝いの歌を歌い、お祝いをしてくれた後、小さい子供たちと共にケーキをいただきました。思わぬ展開に恥ずかしいような嬉しいような気分を味わいました。

東北大、早稲田大合気道部OBで私と同期の道友はそれぞれどのような還暦を迎えられるのでしょうか。私は、プノンペンにいることで日本では味わえない形で無事還暦を迎えることが出来ましたが、これも合気道の縁あってのことと深く感謝しております。

  
2. 合気道?新道場建設工事報告第2報

8月はさすがに雨期の真っ只中で雨の降ることも多く、新道場の建設工事も滞ることがあります。しかし、8月末までに水源の確保、ウオータータンクの設置、地盤整備、基礎工事を完了し、外枠の支柱と外壁の工事に入りました。その後、屋根の工事へ進みますが、屋根が完成すれば内装工事は雨に邪魔されることもなく、順調に進捗するものと期待しております。

毎週日曜日の午後に現場へ行き、工事の進み具合を見ています。日本と比べて建設機械を使っての作業が少ないと感じます。高い所での作業用梯子も現場にある資材を組立てて作業台を作り、コンクリート型枠へコンクリートを流し込む作業をしていました。あまり機械に頼らない人の力を最大限に生かす作業ぶりを見ていると、映画で見たポルポト時代の欧米式の機械式工法を一切否定した灌漑工事を思い出しました。このような彼らの手作り作業がどのような合気道場をもたらしてくれるのか興味深いものがあります。

3. カンボジア・トピックス

・クメール人選手4名、アテネオリンピックに散る
日本が史上最高のメダルを獲得したアテネオリンピックも無事終了しましたが、日本人の大活躍に深夜遅くまでテレビにくぎ付けとなった方も多かったことでしょう。
カンボジアからは、陸上選手、水泳選手各2名の計4名がアテネに派遣されました。陸上男子100mでは、11秒56の記録で予選敗退、女子選手も準決勝へ進むことが出来ませんでした。50m競泳では男女共に90名中70位で、健闘むなしく敗れ去りました。同行したカンボジアオリンピック委員会の役員は、“勝つことは出来なかったが、前回より記録は向上している”と次回への期待を込めて、インタビューに答えていました。

子供の時からの労働で培った丈夫な足腰と体力を持つクメールの若者も多く、良い環境と指導者にさえ恵まれれば世界に通用する選手を育てることも夢物語ではないと思います。しかし、残念ながら貧困追放、道路、橋梁、学校、病院などのインフラ整備が優先され、そこまでの余裕がないというのが、この国の現在の姿です。

・インド人行商人の労働ビザ更新拒否相次ぐ
現在,カンボジアで仕事をする為に1,200人位のインド人が滞在中で、その多くは蚊帳、中国製時計、プラスチック製食器などを販売しているそうです。しかし、最近、この内70名がカンボジア当局より労働ビザの更新を拒否され、帰国を促されました。この7月から8月初めにかけてすでに43名が帰国せざるを得ませんでした。
滞在を認めるにふさわしい職業についていないことやテロリズムへの警戒などがその理由だと伝えられております。
カンボジア・インド協会でも、職業斡旋会社が紹介するような良い仕事は少ないので、来ないようインドの新聞でアドバイスしているそうです。カンボジア政府の対応も支援国に対するものとは異なり、仕事を求めて出稼ぎに来るだけの外国人には当然厳しくならざるを得ません。

・日本人女性観光客、ホテル内で強盗被害
 カンボジア観光のためプノンペンのホテルに宿泊した日本人女性5名が銃を持った強盗に部屋に押し入られ、縛り上げられ金品を奪われました。被害額は900ドルで、幸い身体への危害はありませんでした。
警察の調べでは、犯人は同じホテルの宿泊客だったようで、このホテルに営業停止を命じ、セキュリテーの強化改善を求めました。

プノンペン市も被害者への弁済を行ない、観光客の安全確保を市内のホテルに指示するなど、この事件がプノンペンのイメージを損なうことのないよう対応に努めているようです。更に、観光省も被害者5人にプノンペンからシェムリアップ間の航空チケットとアンコール遺跡の2日間無料見学券を贈呈した他、多くの異例なサービスを提供したようで日本大使館筋もやり過ぎではないかとややあきれ気味だったと聞いております。
     
カンボジア合気道クラブ          工 藤  剛
  

第13回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年8月号の転載です。
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「カンボジア通信 August 6, 2004」

1. 与党人民党(CPP)と野党フンシンペック党との連立政府樹立なる

昨年7月27日の総選挙以降約1年もの間混迷を続けてきた新政府の樹立が、7月15日の国民議会にて極めて異例な形で組閣を完了し決着をみました。
新政府樹立に向けて両党間で政策綱領の擦り合わせが行われてきましたが、最後に残されていた議席配分についても新政府の役職を89も増やし170とすることで合意し、首相をフンセン氏、国民議会議長をラナリット殿下とすることで新政府樹立にこぎつけました。

この過程で、フンセン首相とラナリット殿下合意により提出された「一括投票」を可能にするための法案が憲法に違反するのではと議論になりました。「一括投票」とは、国民議会議長、副議長等国会首脳部の決定と新政府新任を一つのパッケージとして一括して承認するためのものですが、本来であれば国民議会議長等決定後に新政府の新任が行なわれます。

しかし、上院を通過した同法案への署名をピョンヤンで病気療養中のシアヌーク国王が拒否し、国王不在時に国家元首代行を務めるチアシム上院議長(CPP党首)に委ねました。ところが、チアシム氏はかねてより国王への忠誠心が強い政治家として知られており、7月13日早朝病気療養のためと称してバンコクの病院へ入院しようとしました。この動きを察知してかフンセン首相と姻戚関係にあるホックランデイ内務省国家警察長官指揮下の国家警察がチアシム邸を包囲するという事件が発生しました。

結局、チアシム氏とホックランデイ氏の話し合いのあと、両氏はバンコクへ向けて出国しました。この事件の背景には、1997年の武力衝突におけるCPP対フンシンペック党という対立と異なり、CPP党内部でのチアシム党首とフンセン副党首の2大派閥による対立があるとの見方があります。人数ではチアシム派が多数(75%)を占めていますが、主要閣僚や上級官吏へのフンセン派の登用が相次ぎ、これに対するチアシム派による牽制という見方です。

フンセン首相は「一括投票」についても、チアシム党首の了解を得ており党内対立はないと、その後、退院して帰国した同党首との会談後の記者会見で強調していました。結局、同法案は上院第2副議長のニエク・ブンチャイ氏(フンシンペック党所属)が国家元首代行として署名を行ない、成立しました。
この間、野党サムランシー党は「一括投票」は憲法違反として、党首はアメリカへその他の議員もバンコクへ出国しすべての法案審議をボイコットしました。上院議員のオー・ブンロン氏一人だけ、フンシンペック党へ離脱し、新政府での閣僚の地位に留まりました。

連立政府樹立の立役者の一人となったラナリット殿下への批判も多いようで、フンセン首相と共に国王に帰国要請を出しましたが、国王は王位からの退位が承認されるまで帰国しないと表明し、カンボジアにおける民主主義の現状に強い危惧を抱いているようです。
どのような形であれ新政府が樹立されたことを経済界は歓迎しているようですが、国民の反応としては、新政府成立のプロセスに対して厳しい見方もかなりあるように感じられます。新政府にかかる経費も年間600萬ドルとこれまでに比べて急増し、カンボジア支援国の前提として行政システム、司法システムの改革が強く求められているなか、総じて支援に当たる関係国機関、人権団体、NGO等の見方も当然厳しいものとならざるを得ません。
今後の新政府による政策運営から目を離せない状況が続きます。

2. 合気道―新道場建設スタート

6月の一時帰国では新道場建設の件で、皆様から多大のご支援とご協力を賜りました。お蔭様で建設の具体化へ向けて動き出すことが出来ます。こちらの占い師が日柄も良いという7月25日を建設着工日と決め、工事を開始しました。工事の進行状況に合せて5回に分けて支払う契約とし、契約時に第一回目の支払いを済ませました。

手始めとして、地盤整備、水源の確保、プロテクションの工事から始めますが、9月末までの完成を予定しております。雨期にもかかわらず、降雨が少なく工事は順調に進みそうです。逐次、進行状況を報告させていただきます。

3. カンボジア・トピックス

・地雷、不発弾による負傷者増加
2004年1月~4月: 457名 内91名重傷
2003年1月~4月: 321名 内44名重傷
特に、バンテイ・ミンチェイ州、バッタンバン州、プサット州、コンポム・トム州での地雷、不発弾による負傷者が増加中です。負傷者の大半は現金収入を得るため回収作業を行なっている者と田畑を開墾するために森林を切り開く作業を行なう農民だそうです。

(背景) 
赤十字やNGOによる地雷・不発弾事故防止キャンペーンにも拘わらず、村人たちが金属探知機を使い危険な回収作業を続けている背景に、メタルのスクラップ価格の高騰があります。現在、その価格は1kg当たり700リエル(20円位)で昨年同期に比べて200リエルも値上がりしています。
回収業者に持ちこまれたスクラップは、タイで最終製品に加工されアメリカへ輸出されていますが、景気回復でその需要は増加中とのことです。回収業者はそのままの形で引き取ることはない為に、村人が自ら分解するケースが多いようです。結局、自らの生命を賭して現金収入を得る為の仕事をしているというのが実情です。
カンボジア・マイン・アクション委員会の調査では、1990年代初めから活動してきたなかで今年が負傷者の数も最悪の年になりそうと報告しています。貧困故の危険な作業をいとわない人々の生活が地方にいけばまだまだあるようで、子供のころ幼友達と米軍の射撃場で弾を拾った遠い記憶がかすかに脳裏をよぎりました。

・魚価の値上がり食卓を直撃
魚の産卵時期にあたる6月1日から9月30日までは漁獲の禁止期間となっていて、この時期の魚の値段は通常高くなります。
ところが、今年は値上がり幅が例年以上で庶民の食卓に少なからず影響を与えております。ナマズは7月に入って1kg当たり1.25ドルから1.49ドルへ値上がりし、魚全体では平均で13%も値上がりしています。漁師たちは自分の家へ持ちかえる分もすべて市場へ運び、販売に精を出しているとのことです。
この背景にはメコン河の水量が極端に低下していることがありますが、降雨量の減少、上流での中国によるダムの建設、近隣国への魚輸出の増加や違法な爆薬を使用した漁など多くの原因が絡み合っているようです。
今年も雨期たけなわの時期にも拘わらず雨が少なく、来年の漁獲量についても今から心配されます。

カンボジア合気道クラブ         工 藤  剛

画像アルバムコーナーを開設

写真をアップできるコーナーを設けました。
部員のみが閲覧・投稿できるスペースと一般の方が閲覧・投稿できるスペースとを分割しました。
手持ちのお写真でアップできるものがあればご投稿ください。
私も、手持ちの写真(5年ほど前のもの)をmember用のアルバムに何点かアップしました。

写真に対してコメントをつけることもできますので、ご活用ください。 🙂

第12回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年7月号の転載です。
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「カンボジア通信 July 10, 2004」

1. 一時帰国

6月30日に、日本での一時帰国よりプノンペンに戻りました。これまで通りの生徒たちとの稽古が翌日からまた始まりました。
日本ではこちらよりは凌ぎやすい気候を期待しておりましたが、湿気が少ない分少しは楽とはいえ、連日の真夏日でプノンペンとそれほど変わらない毎日でした。

暑い中、本部道場での東北大学OB会稽古、日本橋道場での稽古を始めとして、第一製薬合気道部の合宿でも多くの道友と稽古することでリフレッシュすることが出来ました。奥村先生、米持先生、小林先生、桜井先生お世話になりました。また、一ヶ月の滞在期間中に多くの皆様から新道場建設のための浄財をお寄せいただき、誠に有難うございました。

お蔭様をもちまして、Ark Toul Krasang Aikido Dojo (仮称)の建設を具体化することが出来ます。早速、建設着工へ向けて準備を進めております。年末までにはなんとか完成させ、その姿を皆様に報告したいと思います。楽しみに、お待ち下さい。日本は連日30度を越す猛暑が続いているようですが、皆様、体調管理に充分注意してお元気にお過ごし下さい。

2. カンボジア・トピックス   ・プノンペンにおける犯罪発生件数は減少

プノンペン区役所の報告によりますと、今年上半期の犯罪発生件数は大幅に減少しました。今年6月末までの凶悪犯罪件数は260件で、昨年同期比の485件からかなり減りました。
内訳:
殺 人  :  14件 ( 34件) 
武装強盗 : 234件 (269件) 
            (    ):昨年同期
殺人などの凶悪犯罪は減りましたが、一方で、レープ、人身売買や子供への性犯罪が増加し、よりその中身が複雑化しつつあるのが最近の特徴です。
軽犯罪に関しても、昨年の181件から167件に減少しており、2003年に急増した犯罪に対して、首都の治安回復をめざして警察官のパトロールを強化した効果が出ているようです。

・人身売買
コンポムチャム州に住む30歳の母親が5歳と7歳の娘を売り渡した罪で15年の禁固刑の判決を受けました。一人は無事、父親の許に戻る事が出来ましたが、もう一人は買主の許に留まったままのようです。この母親は4歳の他人の娘の人身売買にも関与しているとの嫌疑も掛けられております。

・落雷事故
雨期に入って、落雷による死亡事故が増えつつあるようです。温度の上昇につれて雷鳴を伴う嵐が起こりやすくなります。ちなみに、5月の平均最高気温は39度と昨年より1.6度も高く、雷の暴れぶりもかなりのものでした。
こちらでは、河で漁をしたり、高い木に登って果物を採るなどの作業中に落雷に会い亡くなる人が多く、気象庁では雷雲が近づいたら木に登らないよう警告を出しています。

・象の暴走
ラッタナキリ州で観光用の象に乗る際に、写真を撮ろうとした韓国人旅行者が、カメラのフラッシュに驚いた象に踏みつけられ重傷を負うという事故がありました。ラッタナキリ州はカンボジア北部、ラオス国境に位置し、ハゲわし、孔雀、バファローなどの野生動物も見られることから観光客が増えつつあるところです。 

カンボジア合気道クラブ 工藤  剛

第11回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年5月号の転載です。
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「カンボジア通信 May 5, 2004」

1. 四月 - クメール正月 & 鎮魂の月

こちらは暑い盛りで、なるべくクーラーは使わないようにしていますが、室温が32度もあり寝る時はさすがに30分程度クーラーのタイマーをセットしておかないと眠りずらい夜が続いています。6月には涼しい日本へ一時帰国をする予定ですので、5月末まではやせ我慢せざるを得ません。

さて、四月のクメール正月(13日~15日)は終了しましたが、この間、今年も例年通り交通事故や火事が多発したようです。
プノムペン市内でも7名死亡、8名重傷となる8件の交通事故が発生しました。一方、地方へ帰省する旅行者で各国道もかなりの混雑で、スピードの出しすぎと飲酒運転も増えるために各地とも同様です。

ところで、この四月はカンボジアの為のボランテイア活動中に犠牲となられた2青年を鎮魂する月でもあります。1993年4月8日にコンポムトム州で活動していた国連ボランテイア(UNV)中田厚仁さんがポルポト派と思われる兵士に襲撃を受け、殺害されました。同氏はUNV選挙監視日本人ボランテイアとして活動されていましたが、まだまだ治安が悪い状況下で自分を守る術はなかったものと思います。
当時、日本人会の会長をされていた馬清氏(現在、JHP・学校をつくる会プノンペン事務所所長)は、UNTAC病院の冷蔵コンテナに安置されていた中田さんとクメール人スタッフの2遺体と対面し、「花束を添え、同行してくれた人達と共に線香を上げ、法華経を読み、題目を上げる。」(馬清著、私見~カンボジアでの十三年~)という体験をされました。

奇しくも、この4月8日にヨルダンのアンマンからバクダットへ向けて陸路移動中の日本人3名が武装グループに拘束され、大騒ぎとなりました。各方面からの働きかけと本人たちの活動ぶりが効を奏し、幸い無事解放されましたが、その後拘束され解放された2名も含め、こちらの新聞でも“jiko sekinin”の言葉と共に彼らに対する日本での様々な反応ぶりが紹介されました。
今回の事件は、外務省より避難勧告が出ている危険地域でのボランテイア活動への大きな問題提起になったようです。多くの困難に直面しているイラク人の為の支援活動という動機は尊重されるべきものです。

しかし、安全にいくら気を配ると言っても、結局は、自分の身は自分で守るしかない以上、特に紛争地域でのボランテイア活動にはそれなりの覚悟が必要であることを再認識させられた事件となりました。
1981年4月16日には、タイ国境の難民村アランヤプラートでJVC(日本国際ボランテイアセンター)の活動をされていた3名が強盗に襲われ、西崎憲司さんが亡くなりました。また、1993年5月4日には、文民警官の高田晴行氏がタイ国境近くのバンテイ・ミエンチェイで殉職され、PKOによる日本からの派遣要員の最初の犠牲者となったことを記憶されている方も多いと思います。
志半ばで亡くなられた3名の方のご冥福をあらためてお祈り申し上げます。
       

2. 合気道 - ハノイ・東南アジア地域合気道演武会&セミナーと(財)合気会からの道着提供

4月17日にベトナム日本センター(VJCC)主催による「ハノイ・東南アジア地域合気道演武会&セミナー」が開催されました。カンボジア合気道クラブからもJICAカンボジア事務所の支援を受けて、クメール人生徒2名を含む4名が参加できました。
ラオスから青木さんと生徒6名、タイから深草先生と生徒2名、シンガポールからMr.Freddy Khong と生徒3名が参加、日本からは堀添7段(法務省合気道部)、市塚6段(埼玉合気会)、鈴木甫6段にJICA合気道部のメンバーも参加されました。また、奈良県支部の窪田先生は急遽来れなくなりましたが、立川3段、田中2段の女性2名が大会に彩りを添えてくれました。

ベトナム各州から合気道クラブが勢ぞろいし、東南アジア6ヶ国によるハノイでは初めての大きなイベントとなりました。演武会はVJCC橋本所長の開会宣言と来賓の挨拶の後、VJCC合気道クラブ56名による演武で幕を開けました。
ベトナムからは、フエ、ダナン、ダラット、ホーチミンなどの州から8クラブの参加で、それぞれの歴史を表すような特色ある演武が披露されました。この国において発展してきた合気道の多様性がうかがえました。

次ぎに、カンボジア、日本、ラオス、シンガポール、タイの順で演武が行われ、我が生徒2名も普段の稽古どおり演武をこなしてくれ、安心しました。
最後は、鈴木6段、市塚6段、堀添7段の演武が続き、深草先生がトリを務められ、すべての演武を無事終了しました。
堀添初代ベトナム日本センター所長が、ベトナム合気道の統一的発展に思いを込められて閉幕の挨拶をされましたが、会場となったハノイ貿易大学体育館の観客席もほぼ満員で、記念となる良い演武会でした。

主催者側の要として奮闘された要田正治さん(VJCC合気道クラブ代表)を始め、ベトナム日本センターの関係者の皆様、本当にお疲れさまでした。
更に、16日、18日の2日間、日本からの3先生と私、青木さん、深草先生の担当で、計6回のセミナーも開催されました。
ベトナムの道友たちも、これだけ多くの先生に一度に指導を受けたのは皆初めての経験のようで、それぞれのセミナーで興味を持って稽古していたようです。私のセミナー終了後は、ベトナムの道友から記念写真を何度もせがまれ、少しは役に立てたようでほっとしました。演武会終了後にベトナム各州からの合気道クラブによる会議が開かれ、我々もオブザーバーとして同席しました。
ベトナム合気道界を代表する連盟の設立が大きな課題となりますが、各クラブの代表者が全員揃っていた訳ではないこともあり、今後、話し合いを続け検討していくことになりました。我々も、ラオス、ベトナムなどと協力関係を強めながら、アジア合気道連盟への加盟をめざして参ります。

この後に開かれたバオサンホテルでのレセプションパーテイは、大いに盛り上がりました。特に、若いメンバーは国籍、言語、性別関係なく、合気の和・輪の中で国毎の踊りを披露したり、歌い、しゃべりでまさに一体となって楽しんでいました。合気道を通した文化交流拡大の可能性をあらためて確信することが出来た良いイベントとなりました。

この程、あなたのやさしさを世界へ!「世界の笑顔のために」というJICAの資機材輸送支援プログラムを利用して、(財)合気会より道着80着がカンボジア合気道クラブへ寄贈されました。このプログラムはJICAのボランテイアを通して海外から要望のあった物品を日本国内で募集し、現地へ送るもので、JICA指定先への日本国内物品輸送料を負担いただければ、海外への輸送料は現地での通関手続きも含めJICAがすべて負担していただけるものです。

4月22日、バクセイ・チャムクロング・クラブ道場での稽古前に道着80着の贈呈式が行なわれ、JICAの大熊調整員よりカンボジア合気道クラブ代表のナング・ラブート氏へ道着が手渡されました。この模様は稽古とあわせて、CTNテレビ局のスポーツニュ-スで放映された他、Kampuchea Thmey Daily にも写真入りで紹介されました。

JICAとの窓口となり、いろいろご手配いただきました(財)合気会総務部の栗林先生をはじめ関係者の皆様に心より御礼申し上げます。
なお、知り合いのJICAボランテイアへ物品を送り、支援されるような場合は、以下のホームページを参照下さい。
http://www.jica.go.jp/partner/smile/country.html
カンボジア合気道クラブ 工藤  剛