第15回カンボジア通信

このテキストは、6代工藤先輩が「カンボジア通信」として、
月1回発刊しているものをいただいて許可を得て転載しております。

今回は2004年11月号の転載です。

「カンボジア通信 November 4, 2004」

災害お見舞い & 任期延長

たび重なる台風の上陸と新潟県中越地震に遭遇された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。特に、新潟は私が社会人としての第一歩を踏み出した最初の赴任地で四年間お世話になった方も多く、気がかりです。
一日も早く復旧され、元の静かな生活を取り戻すことが出来るようお祈りしております。
カンボジアでも落雷、火事や風害どによる災害はたまに報道されますが、日本のように広範囲に災いをもたらすような自然災害はあまりないようです。水害や旱魃もありますが、基本的には米、果物、天然の野菜など自然の恵みも豊富で、この点では過ごし易い国といえるかもしれません。

2002年10月23日に初めてカンボジアの地を踏みしめて早くも2年が過ぎ去りました。同期のシニアボランティア6名は、それぞれの任務を果たし10月20日に無事帰国しました。私は、新しい合気道道場の建設とその立ち上げなどの仕事を残していて、あと1年の任期延長が正式に認められました。来年10月20日までのあと1年少しはクメール語も話せるよう頑張って参ります(ニジェイ クマエ ピバー ナッ!!!)。
  

新国王誕生

奇しくも同期の6名がプノムペン国際空港を離れた10月20日に、新国王に選ばれたシハモニ殿下が前国王、王妃の両親と共に北京より帰国しました。
午後のバンコク行き便の乗客45名が市内道路の交通規制による渋滞に巻き込まれ、搭乗できなかったようですが、幸い同期の方はかろうじて間に合い無事、離陸できたそうです。
10月29日に王宮において戴冠式が行われました。28日?30日を即位式典日として市内中のパゴダの鐘が打ち鳴らされ、夜には花火が打ち上げられるなど祝賀ムードにつつまれました。ただし、あまり予算がないとのことで派手な催事などもなく、比較的静かな即位式だったと思います。
任期延長のおかげで、この国の大きなイベントを見聞することが出来ました。
シアヌーク国王が退位を表明された後、スムーズに新国王の決定が行われない時には何らかの混乱が生じる懸念もありました。どうやら、その心配も杞憂に終わり51歳の新国王が即位され、カンボジアの新時代の訪れが期待されます。
シハモニ新国王は若い頃からチェコスロバキアでダンスと音楽、北朝鮮の平城で映画撮影技術を学びました。それが、1976年4月に父親の偽造サイン入りの電報で平城よりプノムペンに戻るよう促され、両親や他のローヤル・ファミリーと共にクメール・ルージュの監視下に置かれるという経験もされました。

1979年1月のベトナム実質支配の開始(カンボジア人民共和国樹立、ヘン・サムリン政権誕生)と共に中国へ亡命し、その後フランスへ渡りダンス教師として普通の暮らしをしていたそうです。今年8月まで国連教育・科学・文化機関のカンボジア大使を務めるなど“文化の人”として知られていて、政治に関わるローヤル・ファミリーが多いなかで、殆ど政治の場から無縁できました。
このように海外での生活が長かったこともあり、大半の国民には馴染みが薄く、特に地方では“Who is Norodom Sihamoni ?” いうのが実情です。
前国王のカリスマ性が強すぎたこともあって、新国王の誕生をきっかけに王室に対する国民の見方が変化していく可能性もあると予想されます。
新しい時代に相応しい変化が起こることを期待したいものです。
    

3.合気道?新道場建設工事報告第3報

10月のお盆休みも終了して、雨季も終わりを迎えつつあり雨もめっきり少なくなりました。道場の敷地近くまできていた水も日に日に後退して元の草地が蘇ってきました。

新道場の屋根工事が完了し、国道21号線からもブルーカラーの屋根におおわれた建物がはっきりと見通せるようになりました。この為、付近の村人の関心を少しずつ集めているようで、見学にくる人もおります。
これで、内装工事も一気に進み稽古場の床材やマットも運び込まれ、どうやら道場らしい姿を整えつつあります。窓、ドアの取り付け、塗装工事などを行い、11月中には道場建物の完成にこぎ着けられそうです。

同僚のラブート氏は地方に住む親戚や友人の家から果樹を取り寄せ、道場周りを良い庭にすると張り切っております。いずれは、こちらの美味しい果物を皆様にも味わっていただけるものと期待しています。
次回には、ほぼ完成した姿をお伝えできるかと思います。

 
4.カンボジア・トピックス

1.リエル安による物価高
カンボジアでは空港、市内あらゆる所でドルが流通していて、わざわざ現地通貨のリエルに交換する必要がなく、ドルで生活費を支給される我々にはとても便利です。
1975年のポルポト政権樹立までは当然リエル経済でしたが、クメール・ルージュは通貨とすべての金融機関を廃止してしまいました。
1979年のヘン・サムリン政権の発足に伴い、リエルの印刷が再開されましたが市場の実勢を無視した為に、通貨と国の金融システムへの信頼は弱い状態が続きました。

その後の1992年のUNTAC(国連暫定統治機構)による統治がドル経済の始まりで、この時に20億ドルがカンボジアに持ち込まれました。
現在でも市場に出回っている通貨の9割以上はドルということで、自国通貨でないドルに依存した経済体質の為に金融政策を発動できる余地も限られていて、脆弱な金融構造と言えそうです。
GNPは毎年5%程度の伸びを示していますが、インフレ率も同程度ないしそれ以上となっていて、絶え間ない物価高が生計費を圧迫し、カンボジア経済は貧しい状況から抜け出せません。食料品、輸送費、建築資材、不動産価格などが高騰しており、特に、魚やガソリン価格の急騰が庶民の台所を直撃しています。
高いインフレ率を抑えるべく、カンボジア国立銀行はドル売り介入をしてリアル安に歯止めをかけようとしてきました。
しかし、私がカンボジアに来た2年前には1ドル=4,000リエルを割り込んでいたのですが、最近は1ドル=4,070リエル位で推移しております。
為替の変動に気を止める人は少ないようですが、先行きについて専門家の間では悲観的な見方が多いようです。何か効果的な金融・財政政策があり得るのでしょうか。
お金による援助だけでなく、知恵をしぼった助言、政策提言も今後の支援の大きな課題となります。

2.リンチによる防犯対策
カンボジアにおける凶悪犯罪は着実に減り改善されつつありますが、バイク強盗や引ったくり、ドメスティック・バイオレンスといった一般犯罪は増加傾向にあります。また、低年齢層による薬物使用、集団暴行などが増え、問題が深刻化しています。
これらの犯罪の際には極めて安易に拳銃が使用されることも多く、警官がこれに応戦して双方に死傷者がでるケースも散見されます。プノムペン市内でも10月初めに、奪ったバイクで逃走しようとした4名の内2名の犯人が市内を追いまわされた末に射殺され、2名は取り逃がすという事件がありました。
一方、タケオ州のある地区では3名のバイク泥棒を警官が連行しようとしたところ、怒り暴徒と化した村人300名が犯人を殴り殺してしまうという事件が伝えられました。
他の州でも、斧やなた、棒を手にした大勢の村人が6名の警官から2名の強盗犯人を奪いさり、リンチにかけ殺すという事件もあり、10月だけでも5件このようなリンチ事件が報告されています。

殺された犯人のなかには過去に6回も逮捕されている者もいて、村人たちが司法制度を信用していないという状況が存在します。警察が犯人を捕らえて裁判所に送っても、すぐに釈放されることを恐れているようです。
いずれの場合もリンチに加わった者が逮捕されることもない為に、犯人を自分らの手でリンチにかけ防犯対策にしようとする事件が止むこともなさそうです。
支援国が強く求めている司法制度の改革も道遠しと言わざるをえません。
  
        カンボジア合気道クラブ
                 工 藤  剛